260年続いた徳川幕府が終わり、新しい日本になった時。
明治時代には「この国をもっとよりよくしたい」と考えた人たちが、いろいろな思いを巡らせました。
目次
国粋主義を唱えた三宅雪嶺
加賀藩家老本多家の儒医・三宅恒の子として生まれました。
官立東京開成学校を経て、東京大学文学部哲学科を卒業します。
卒業後、臨時修史局編纂掛(現東京大学史料編纂所)に就職。のちに東京専門学校と哲学館で講義を担当します。
同じ頃、後藤象二郎の大同団結運動や条約改正反対運動など自由民権運動に関わります。
仲間と政教社を設立し、国粋主義の立場を主張するため、明治21(1888)年4月3日、『日本人』(後に『日本及日本人』に改題)を創刊するのです。
国粋主義とは
国粋主義って何?
国粋主義は、近代日本においては欧化主義に対抗して、日本の文化・伝統の独自性を強調・発揚し、これを保守しようとする政治思想です。日本主義とも呼ばれます。
国粋主義は、幕末から台頭した尊皇攘夷論を源流とし、明治維新後は大日本帝国政府による条例改正交渉や欧化政策への反発として現れたのです。
平民主義
平民主義を唱える民友社の徳富蘇峰らは日本近代化の必然性を説きつつも、政府の推進する「欧化主義」に対しては、「貴族的欧化主義」では何も生み出さないと批判して「上(政府・貴族)からではなく、下(平民)からの欧化(西洋化)」を唱えました。
欧化政策
欧化主義?欧化政策って何?
日本では1880年代に明治政府が文化・制度・風俗・習慣をヨーロッパ風にして欧米諸国に日本が近代化した事実を認めてもらおうとしました。
これが欧化政策です。
その代表的な存在が1883年に完成した鹿鳴館ですね。
国粋主義も平民主義も結局日本には定着せず、欧化政策を進め「欧米列強」に追いつけ追い越せの日本政府は軍国主義へと進むことになるわけです。
平民主義を唱えた徳富蘇峰だって、日清戦争を機にすっかり国家主義・帝国主義になったもんね。