天神様、学問の神様でお馴染みの菅原道真。
菅原道真は、日本史上知識の力を最も発揮した人物であり、学識や教養が行政にも通じることを見事に証明した人だといっていいでしょう。
目次
菅原道真のエリート街道まっしぐら
845年 菅原道真誕生
877年 道真、
899年 右大臣となる
不運の晩年
誹謗中傷にも負けず
しかし。
菅原道真はその優秀さゆえに、周りから誹謗中傷を受けます。by『菅原文章 博士難』
道真はその誹謗中傷に負けることなく、卓越した学識を駆使し、朝廷の政治を支えていきます。
道真は政を放棄した藤原基経の尻を引っぱたき、そのおかげで基経も目が覚め奮起し、また基経が亡くなった後はブレーンとなり宇多天皇を助けます。
醍醐天皇を助けるために右大臣に就任
寛平9(897)年、宇多天皇は13歳の息子醍醐に譲位し、自らは上皇となります。
醍醐天皇の補佐役に道真と藤原時平(基経の嫡男)を任命しました。
『
藤原時平(藤原鎌足の血をひく名門。血筋としては申し分なし)は左大臣に、そして道真(ただの学者)は右大臣になります。一応遠慮して辞表も出してみたんだけど。え?形だけ?結局辞表は受け入れてもらえず。
学者として異例の出世を果たす道真に誹謗中傷はますます強くなります。
誹謗中傷、やめてぇぇぇぇ!
左遷、そして最期
謀反を計画したとして(昌泰の変)、901年に大宰府へ太宰員外帥として突如左遷されます。
その理由ってのがすごい。
言いがかりじゃん!首謀者は誰?
藤原時平じゃね?道真の昇進を快く思ってなかっただろうし。
いや、詔を発した醍醐天皇その人じゃね?宇多上皇との間に父と子の確執あったっていうよ?
それともふたりの共謀…?いや、他の誰か?
道真はそのまま現地(大宰府)で没します。
延喜3(903)年2月25日、1119年前の今日です。
享年59。
刑死ではありませんでしたが、衣食住もままならず窮死に追い込まれたわけであり、緩慢な死罪に等しいようなものです。
道真、雷神となる
この後、都では怪事件が次々に起こります。
まず道真の死から6年後、藤原時平が病死。天皇の皇子たちも次々に亡くなります。
不吉な死の連鎖。
さらに台風洪水疫病と禍が続きます。
世間は菅原道真の怨霊だと騒ぎます。
あわてた醍醐天皇は道真を右大臣に復帰させ(もう亡くなってるやん!)、あの大宰府左遷の詔を焼却し、道真の霊を慰めようとします。
そして、延長8(930)年に「清涼殿落雷事件」が起こり、それが雷神となった道真の仕業と噂され、その3か月後心身に異常をきたした醍醐天皇が亡くなります。
神になった道真
きちんと
北野天満宮です。
今では道真を天神様として祀る天満宮や天寺社は全国でおよそ12,000社あるといいます。
学問の神様としてだけでなく、五穀豊穣や開運招福などさまざまなご利益があるとされています。
これまで怨霊だったものを神として祀らないと、みんなの後ろめたさが消えない…同情と敬愛する気持ちの合作、そんな事情だったのではないかと推察できます。
道真は鬼になったのか
日本史を題材にさまざまな幻想小説を手掛ける夢枕獏さんは語ります
「菅原道真は鬼になったんですよ。この時代の芸術家や文人は鬼と仲がよかったんです。朱雀門に住んでいる鬼は芸術家が好きだった。しかし道真は鬼と折り合いがつけられずに自らが鬼になったんです。」
なんだか『鬼滅の刃』を思わせるような考察です。
今日は国立大学二次試験。
受験生の方へのエールを込めて、学問の神様といわれる菅原道真について語りたく、NHK『英雄たちの選択』の2年前の放送をまとめさせていただきました。