受験シーズン。
苦しい時の神頼み…ということで、私も3人の母として、この時期はいつも手を合わせてましたっけ。
894年には遣唐使廃止の提案をした人物として有名です。
ハクシにもどそう、遣唐使廃止894年 受験生の方は覚えてね。
そして菅原道真は、学問の神様として有名です。
以前私は菅原道真を大河ドラマの主人公にしたらどうか?と記事にしていました。
さて。
目次
菅原道真の出世コース
菅原道真が生まれたのは、京都の菅原院天満宮。(諸説あります)
そこには道真が使ったと言われる産湯井跡があり、その井戸の水を飲むと頭がよくなるといわれています。
小さい頃から英才教育を受けた道真は、早くから才能を発揮します。
早くから官僚に入り、元慶元(877)年10月、33歳の時に文章博士に任命されます。
道真、讃岐へ
そんな多忙な日々の中、42歳の時に、文章博士を解任され、讃岐守に任命されます。
地方へ飛ばされた…普通に考えると左遷です。
仁和2(886)年1月のことでした。
しかし、京都産業大学名誉教授の所功氏は、違った見方をされています。
讃岐への転勤は、降格ではなく、地方経験を積んでそれを生かしてほしいという上の思いではなかったか。
実際、讃岐での経験は道真を大きく成長させました。
貧しい環境の中での讃岐の庶民の暮らしを道真は「寒早十首」に綴りました。
それを親しい友人に送り、讃岐の状況を中央へ伝えました。
道真自身、干ばつの続く讃岐の地で自ら雨乞いをしたりと、民衆のために尽くします。
待望の雨が降ると、みんなで喜び合い、道真は讃岐の人たちに愛されていました。
そのころ都では
仁和4(888)年の宮中では、宇多天皇と藤原基経が揉めていました。
藤原基経は、政務を放棄してふてくされています。
そんな基経に、菅原道真は意見書のような手紙を送ります。
道真に諫められた基経は心を入れ替えたのです。
ハクシにもどそう、遣唐使
そんな道真の讃岐での活躍が認められ、京に戻った後は宇多天皇の側近となります。
寛平6(894)年7月。
60年ぶりの中国への遣唐使派遣という国家的大プロジェクトのリーダー、遣唐大使になります。
道真の祖父や伯父も遣唐使でした。
しかし、道真は宇多天皇が企画した唐への派遣を中止しようとしたのです。
当時、唐では内乱が起き、国情が不安定でした。
海を渡るのも命がけ、大陸に着いても安全とはいえません。
そんな危険をおかしてまで、唐へ行く意味はあるのか。
そういった事情を考慮し、進言した道真でした。
13年後、唐は滅亡します。道真の危惧はあたったのです。
道真、大宰府へ
そんな菅原道真の活躍が面白くない、左大臣の藤原時平。基経の息子です。
当時権勢を誇る藤原氏のトップです。
昌泰4(901)年1月25日。
道真が不在のうちに、道真は無実な罪をきせられ、都を追われ、大宰府へ飛ばされます。
この「昌泰の変」については、以前ブログで熱く語らせていただいております。
現代訳)私がいないからといって、春に花を咲かせるのを忘れるなよ
大宰府は栄えた町でしたが、道真は質素な生活を余儀なくされます。
仕事に行くことも許されず、失意の中で過ごしていたのです。
砂のたまった井戸、穴の開いた垣根。
罪人のような家屋で暮らしていました。
そんな道真に大宰府の人々は窓から餡子を包んで焼いたお餅を梅の木に刺して、窓から差し入れをします。
それが梅ヶ枝餅として今なお愛され続けています。
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道真が亡くなった後
延喜3(903)年2月25日。
大宰府行きを命じられて2年。
菅原道真は失意のまま亡くなります。享年59。
亡くなってしばらくすると道真は、天神様として信仰されるようになります。
それはなぜ?
道真の祟り?
道真が亡くなった後、京では異変が起こります。
疫病が流行り、災害が起こります。
道真の死から6年後、藤原時平は39歳の若さで病死。
その14年後には、藤原氏の血を継ぐ皇太子が亡くなりました。
これは菅原道真の祟りではないのかと人々は恐れます。
そして決定打になったのが、宮中の建物への落雷、「清涼殿落雷事件」です。
北野天満宮建立
藤原氏は、道真の怒りを鎮めようと、平安京の北の地に道真の霊をお祭りすることにしました。そのために建立されたのが今日の北野天満宮です。
北野天満宮の権禰宜、東川楠彦さんは「左遷に関わったのは藤原氏ではありますが、逆に菅公様(道真)が亡くなった後は、自分たちを守る神、ひいては平安京を守護する神として、手厚く祭った。」と話されています。
この間のブログで、松永久秀を死に追いやった織田信長も亡くなってから「○○してあげようと思ったのにぃ」と言っていたことに腹がたったと語らせていただきましたが、ほんと、「フランダースの犬」も然り、亡くなってから手厚くしたって遅いんだよ!
菅原道真が神になった理由
こうして、菅原道真は怨霊から神様へ変身します。
宮中に雷を落とした道真は、雷神、農耕の神、豊作のシンボルとしても崇められています。
才能豊かだった道真は、江戸時代の頃から学問の神様として崇められ、今日に至ります。
福井県に伝わる天神講では、毎年1月25日に天神様の掛け軸を飾り、カレイを備えて、学業成就を祈ります。
天神信仰の根底は、道真が頭が良いという事以上に、人間としての側面が良かったということなのです。
小学生向けの歴史漫画もこのあたりはとても面白くわかりやすく掲載されてますので、親御さんぜひ買ってあげてくださいね。