三井財閥といえば、その歴史をたどれば、「三井越後屋呉服店」です。のちの越後屋。のちの三越です。
「越後屋」ってさ、時代劇で悪代官と繋がって「オモエも悪よのう」とか言われてる商人?
いえいえ、三井高利はそんな悪じゃないです。
お客様を喜ばせるのが大好きな善人だったんです。
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三井財閥の先祖
本当か嘘か、史実による確証はないのですが、家伝によれば三井家は平安時代の摂政太政大臣藤原道長の末裔だとされています。
子孫には、NHK朝ドラ『あさが来た』の主人公のモデルになった広岡浅子がいます。
え?大河ドラマ『光る君へ』から、朝ドラ『あさが来た』に繋がってるの?
三井高利
「三井家の家祖」といわれる三井高利が生まれたのは元和8(1622)年。
三井家は少なくとも当時から相当の豪商でした。
当時は掛け売りが当たり前でしたが、踏み倒されることのないよう、高利は上手に支払いを回収していました。
長兄が亡くなったのを機に、高利は本町1丁目(現東京都中央区日本橋本石町)に呉服店を開業します。
高利は武士相手の訪問販売ではなく、誰でも買える店頭販売を行いました。
ツケ払いはやめ、ニコニコ現金払いで「安くて適正な価格を追求」しました。
仕入れも工夫し、型落ち商品なども安く販売し、いわゆる「アウトレット」の先駆け、
高利はコスト削減のために自ら両替商も行います。
これが明治以降の銀行業へと繋がります。
呉服業と金融業の2本立てで、江戸のバブル経済に貢献したのです。
三井一族
「人々が喜ぶ商い」をモットーにしていた高利は73歳まで長生きします。
高利には10男5女の子どもがいました。
子供たちが三井を継ぎ、6本家5連家の三井十一家体制ができあがります。
明治37(1904)年。三井越後屋は日本初の百貨店へと姿を変えました。三越ですね。
NHK朝ドラ『あさが来た』のヒロイン、広岡浅子
三井6本家のひとつ、小石川三井家6代当主が三井高益です。
高益の四女として生まれたのが、広岡浅子でした。
嘉永2(1849)年9月3日のことです。
175年前の今日です。
三井高利が亡くなってから210年後のことでした。
朝ドラと史実の違い
NHK朝ドラ『あさが来た』のヒロインのモデルとなった広岡浅子ですが、ドラマは脚色されており、史実とは異なります。
決定的に違うのは浅子の父三井高益です。
『あさが来た』の父親はずいぶんと長生きしていましたが、史実では高益は浅子が幼い時に亡くなっています。
『あさが来た』ではヒロイン(波留さん演)とその姉(宮崎あおいさん)が本妻の子として描かれていましたが、三井家の史料によると浅子もその姉も「別腹の子」とあります。
母親が誰なのかはわかりません。
浅子とその姉は別々の母親から生まれたのでしょう。
商家の当主が正妻以外に愛人を持つことは当時珍しくなかったかもしれませんね。
ドラマと違い、姉は20代で亡くなっています。
浅子の夫、広岡信五郎に愛人(三井家から浅子の世話をしているお手伝いさん)がいてその愛人との間に三女一男がいますが、それをさらりと受け入れているのは、浅子自身が別腹の子だから?
愛人の子である松三郎が、大同生命保険(浅子が築いた会社)4代目社長に就任していますよ。
朝ドラではこのあたりの愛人問題もきれいにまとめています。
三越、しばらく行ってないな。
デパートは洋服も高くて。
子どもの頃、デパートに行くのは、大好きな娯楽のひとつでした。
屋上の乗り物に乗って遊んで、玩具売り場で玩具を買ってもらって、大きな食堂でお子様ランチを食べるのです。
今、デパートは子どものレジャーランドではなくなりましたね。
デパートよりイオンに行った方が子どもは楽しめるね。