暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。その介護も終わり、片づけと大学通信教育部の勉強と猫と。そんな雑記ブログです。当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

相馬黒光、過去に朝ドラに出てた?

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老舗の食品メーカー中村屋は、1901年東京都文京区本郷の東京大学正門前にあったパン販売店🍞中村屋相馬愛蔵相馬黒光夫妻が居ぬきで買い取り、屋号をそのままに個人経営で創業したところから歴史をスタートさせています。

 

相馬黒光そうまこっこう、実業家でもある彼女は作家でもありました。

私は何度か彼女の名前をブログに記しました。

 

www.betty0918.biz

 

目次

 

生い立ち

黒光は、明治8(1875)年、仙台県第一大区禅寺檜丁通本材木町(現宮城県仙台市)に生まれました。

8歳の時に一家の柱であった祖父が死去、10代前半には姉が心を病み、父親は癌月病、弟は急性骨髄炎により右足切断という境遇に見舞われ、そんな中、黒光は教会に通い、14歳で洗礼を受けます。

 

東京にて

ミッションスクール宮城女学校に入学するも、宮城女学校ストライキ事件に連座して自主退学します。

このストライキ事件は、朝ドラ『はね駒』でとりあげていました。

黒光は明治女学校に入るつもりで東京に出てきましたが、横浜のフェリス英和女学校に入学します。

祈りに始まり祈りに終わる寄宿舎生活には馴染みましたが、信仰に迷いを生じ、文学に関心を持つようになり退学します。

明治28(1895)年、文学的雰囲気の漂う明治女学校に入り直します。

明治女学校卒業後の明治30(1897)年に相馬愛蔵と結婚します。

 

中村屋開店

本郷で借家暮らしを始めた相馬愛蔵と黒光は、一般に馴染みの薄く、かつ先発の店と力量に開きが少ない商売を始めようと考え、パン屋に目をつけるのです。

画像はイメージです

明治34(1901)年12月30日、本郷区森川町1番地にて相馬夫妻の「中村屋」が開店します。

123年前の今日です。

クリームパンを開発したり、和菓子や洋菓子の製造・販売をするなど、商品開発は多岐にわたりました。

明治40(1907)年には新宿に支店を開店。

明治42(1909)年には製パン場を新設できる広さのあった現在地へ移転しました。

 

大正12(1923)年には株式会社となり、昭和2(1927)年には店内の1階にて喫茶部を開設します。

ここから純印度式カリーやボルシチが生まれ、看板メニューとなるのです。

 

社会・文化貢献

相馬家にはやがて荻原碌山ろくざんを中心に高村光太郎松井須磨子など芸術家が多く出入りするようになり「中村屋サロン」が形作られました。

中村屋サロンは明治末期から大正時代にかけての芸術革命ともいうべき活動を支える一助となったのです。

また、晩年には老人救済のための老人ホーム建設に寄付することを主眼とする「千一運動」を提唱します。

 

ドラマの中の相馬黒光

相馬黒光をモデルにしたTBSドラマ『パンとあこがれ』が私の記憶に残っています。

当時小学校低学年でしたから、くわしい内容は覚えていないのですが、相馬夫妻はとても仲睦まじく描かれていたように思います。

しかし、現実はそれだけではなかった。

ドラマの中で、黒光と荻原碌山との不倫が描かれていたのか記憶にない。

 

相馬黒光NHK朝ドラには『はね駒』に主人公の同級生として、『なつぞら』では黒光の孫の女主人が登場しています。

 

波乱万丈の相馬黒光の人生は、NHK朝ドラの主人公になりそうですが、TBSポーラテレビ小説枠でドラマになっている以上、NHK朝ドラでは無理なような気がいたします。

 

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サッカー日本代表の相馬勇紀氏は、相馬夫妻の玄孫になるそうですよ。