NHK朝ドラ『虎に翼』では、放送初回では主人公寅子は女学校の学生でした。
セーラー服を着ていました。
大正13年1月12日の『読売新聞』で山脇房子は「今度の大しんさい(関東大震災)で、一般の婦人が、和服の不便を明かにみとめ、服装を改良せよとの叫びが高くなつたにもかかわらず、やはり思ひ切つて英断をする婦人が少ない」と嘆いています。
その山脇房子が初代校長を務めた山脇高女では大正8年に洋服を制定しています。
その後、洋式の制服を定める高女が増え、セーラー服が人気でした。
しかし、通学に洋式制服を着たからといって、彼女たちが卒業後に洋服を着続けたわけではありませんでした。
『虎に翼』の寅子は、大学時代は袴姿で、洋服を着るようになったのは社会人になってからです。
親友の花江ちゃんは女学校を卒業すると同時に専業主婦になりましたので、戦後になってもずっと着物に割烹着です。
私の祖母は父方の祖母も母方の祖母も明治生まれで、昭和になってもずっと、戦後もずっと、亡くなるまで普段着は着物でした。洋服姿は数えるほどしか見たことがありません。
参考文献⤵
もっと昔、明治時代に衣類の簡素化を提案した人たちがいました。
堺利彦は『共同と平等』の中で、次のように提案しています。
燕尾服、フロックコート、モーニングコート、大礼服、洋服、制服などなど様々に着わけるよりは、一つか二つ自分の気に入った背広でも着る方が簡易である。
引用:『簡易生活』から『共同と平等』
また、堺利彦の友人である社会運動家の金子喜一は、『簡易生活について』の中で次のように述べています。
一生シルクハットやイヴニィングコートのやうなけしからぬものを着まいと決心したのも僕なんです。僕は一生の大事とか云ふ結婚式にも、普通の背広にハンチングキャップで間に合わせたのである。
彼らのこの生活スタイルは、現代のミニマリストの生活に繋がるものであり、昔は思想とかスタイルとかの理由ではなく「貧困」からミニマリストにならざるをえなくなった庶民が大勢いたわけで、現代のミニマリストと比べるのは無理があるかと思うのですが、決して「貧困」ではないにもかかわらず、その居心地の良さからミニマリストを目指した人たちが100年以上前に存在していたのです。
にゃにゃにゃ工務店 (id:JuneNNN)さんのイラストは可愛くて、ちょくちょく使わせていただいています。
ありがとうございます。