明治時代、識字層の増大とともに、婦人雑誌や家庭雑誌が多く創刊されました。
これらの雑誌は、近代的な家庭像を示しながら、特に女性を読者層に想定し、家事家計簿や育児・子供の教育のノウハウなど、妻として母親としてのあり方を説く物が多く、例えば1903年に羽仁吉一・羽仁もと子夫妻によって創刊された『家庭之友』は、そうした雑誌の典型例の一つとして、多くの女性読者を獲得しました。
『家庭之友』は後に『婦人之友』と改称されています。
婦人之友社は、羽仁もと子の生き方に据えたキリスト教信仰を活動と経営の理念に置いています。
羽仁もと子は日本における女性ジャーナリストの先駆けで、家計簿の考案者としても知られています。
現在の費目ごとに管理する家計簿を最初に提案したのは『婦人之友』の創立者の羽仁もと子だといわれているのです。
『婦人之友』をはじめとする婦人雑誌の付録に家計簿が付けられるようになり、高度経済成長期のサラリーマンの妻たちが、自分に合った形で家計簿を付けるようになったのです。
映画監督の羽仁進氏は羽仁もと子の孫になります。
高校生の頃、羽仁進氏の講演を聴いたことあります。内容覚えていませんが面白かった記憶だけがあります。
羽仁もと子は昭和32(1957)年4月7日に亡くなります。
68年前の今日です。
彼女の教えは「婦人之友読者の会」により継承されています。
参考文献⤵
家計簿をつけることで、節約につながるかどうかはその人次第だと思います。
母が亡くなり独り暮らしになってから、私はブログに食費と光熱費を記すようになりました。
無理しない程度に、とくに食費はゲーム感覚で節約を楽しんでいます😊