昨年12月、肺がん末期と診断されていた義父は、酸素吸入を装着するほどに容態が悪化しました。
これは年内を越せないかもしれない…と周りは覚悟しました。
しかし、義父は元気になりました。
病院を退院して、施設に移ったのです。
あれから5か月、「だめかもしれない」「回復した」を何度か繰り返し、そのたびに入院しました。
4月に施設に移り、症状はずっと安定していました。
退屈になると、あちこちに電話をして話していました。
主人は片道160㎞の距離を運転して、土日ごとにお見舞いに行きました。
叔母ちゃん(義父の妹)と甥っ子(義父の姉の子)が5月のGWにお見舞いに来てくれた時は、とても機嫌よく、叔母ちゃんとの昔話が止まらなくなりました。
今思うと、それは「
日曜日、義父はいつもどおり元気で、夕飯も食べました。
夜7時の見回りでは、まだ起きていました。
しかし、夜8時の見回りでは、ベッドの上で亡くなっていたのです。
施設から主人に電話がきたのは8時半頃でした📞
日曜日だから?夜だから?
その日はお医者さんを呼んでもらえず(施設は病院併設なのですが💦)、お医者さんが死亡診断書を書いてくれたのは翌日なので、命日は翌月曜日になりました。
少量ですが吐いた後がありました。
「年齢に伴う嚥下機能低下による吐物誤嚥での急性呼吸不全」というお医者さんの診断でした。
亡くなった直後から、義父の鼻血が止まらず、それは数日続きました。
もしかしたら脳梗塞を起こしたのかもしれない、それによる嘔吐だったのかもしれない、直接の死因は脳梗塞だったのかもしれない…と原因が別にあったことも考えられます。
私もすぐに主人から連絡を受けました。
突然のことで、呆然としましたが、すぐに飛行機の予約です✈
北海道へ行かなくてはなりません。
義父は生まれも育ちもずっと北海道です。主人は義父の介護のために北海道で仕事をしていますが、義父の居住地からは2時間半もかかる場所なのです。北海道は広いのです。
連絡を受けてすぐに主人は施設へと向かいました。到着は夜中でした。
「義父の旅立ち」
このシリーズは何回か続きます。
義母が亡くなった時も、私の母が亡くなった時も、ブログに記させていただきました。
あとで読み返すと、いろいろ役に立ちます。