暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

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小泉八雲著『日本の面影』

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来月から始まるNHK朝ドラ『ばけばけ』は小泉八雲の妻、小泉節子が主人公です。

私が小泉八雲の名前を知ったのは学生時代の教科書でした。

歴史の教科書ではありません。

英語の教科書に「小泉八雲」についての伝記が載っていたのです。

朝ドラ主人公小泉八雲の著書『日本の面影』が2015年放送のNHK『100de 名著』で取り上げられていたので、NHKオンデマンドで視聴してみました。

 

目次

 

近代国家、日本

今からおよそ135年前、1890年4月、ひとりのイギリス人が日本にたどり着きました。

ラフカディオ・ハーン、後の小泉八雲です。

 

当時の日本は近代国家を目指して突き進んでいました。

そんな中、八雲が目をつけたのは、極端な西洋化によって失われつつあった庶民の生活習慣や伝統文化でした。

日本人の美徳、日本の自然、八雲はそれらを美しい文章で描きました。

それが『日本の面影』です。

 

 

 

小泉八雲の生い立ち

八雲の父親はイギリス人でアイルランドの軍人、母親はギリシャ人でした。
ギリシャで生まれた八雲ですが、2歳になりアイルランドに移住した頃両親が離婚します。
その後父親は昔の恋人と再婚しインドへ赴任、八雲は大叔母に預けられ13歳でイギリスの全寮制の学校に入ります。
厳しいカトリックの教えは八雲に合わず、また16歳で事故のため左目を失明し生涯にわたるコンプレックスとなります。
その後大叔母が破産したため学校を退学し、アメリカの親戚を頼って渡米します。
苦労した時代もありましたが、八雲は24歳で新聞記者になり、世界中を巡ることになります。
 

日本に魅了される

八雲が日本に来たのは39歳の時。

カトリックの教えに反発していた影響でキリスト教以外の文化圏で暮らしたいという思い、ニューオリンズ万国博覧会で服部一三に出会い、『古事記』の英訳を読み、気持ちが日本に向かったのです。

1890年4月4日早朝、横浜港に到着した途端日本に魅了され、長期滞在を決意します。

現代の横浜の街

澄み切った青空の中、人力車で横浜の街を巡ると、商店の暖簾やそれに書かれた文字、行き交う人々に八雲はお伽の国を彷彿し感動します。

私の目の前にあるものに私の心は釘づけとなった

それは言葉を失うほどに美しいものに覆われた桜の木立であった

すべての枝という枝に夏の積乱雲のように純白の花が咲き乱れ

目もくらむほどに霞んでいる

その下の地面も私の眼前の小路も

柔らかく厚く芳香を漂わせて散った花びらの雪で一面真っ白だった

この神々の国では樹木は人間から大切に育てられかわいがられてきたので

木にも魂が宿り愛される女のように

樹木はさらに美しさを増して

人間への感謝を示そうとするのであろうか

 

『日本の面影』

八雲が『日本の面影』を出版したのは来日してから4年後、1894年のことでした。

 

 
『日本の面影』には4つの趣旨があります。
  1. 日本の知識人に対する批判→西洋を追いかけてばかりいる
  2. 日本の良さは庶民にある
  3. 人間は「幻想」や「想像力」に頼る生き物→「迷信」とか
  4. 西洋近代文明(合理主義)へ批判
「幻想」や「想像力」を大切にするというのは八雲のイマジネーションを感じられ、彼が日本の「怪談」へと導かれていくのがわかります。
 

日本人になる

英語教師として島根県の松江に赴任し、日本の女性と結婚した小泉八雲
英語教師の仕事をしながら執筆活動を続け、明治37(1904)年9月26日に、54歳狭心症で亡くなります。
121年前の今日です。
 
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来週から始まる『ばけばけ』楽しみです。

『あんぱん』ロスになっている場合ではありません(笑)

 

それにしても島根県が舞台の朝ドラは2008年の『だんだん』が初めてで、その後『ゲゲゲの女房』に今回の『ばけばけ』と、人口のわりには多いですよね?

埼玉県(2009年『つばさ』)とか千葉県(1985年『澪つくし』)とか、人口多いのに、朝ドラの舞台になったことは1回しかないんですよ?

人口と朝ドラの舞台は関係ない?