この家に私が住みついて、せっせと不要品を処分してきました。
昭和の時代からとっておいた物、私が生まれる前からある物、箱に入ったまま開封すらされていない物・・・
食器もずいぶんと捨ててきました。
私と母のふたり暮らしですから、たいして数は必要ないのです。
未使用のお茶セットもいくつかあります。
お茶セットはこれからも使うことはないでしょう。
そのうち処分しよう・・・などと考えていましたが。
お正月に子供たちや妹一家、甥っ子夫婦などが来るにあたって。
食事をするにも食器が足りない!
いや、なんとかなるのですが、甥っ子夫婦も来るのに、古い汚い食器はだしたくない。
・・・ということで、慌てて100均で購入しました。
また、物を増やしてしまった・・・😅
でも。
たくさんの孫がかわるがわる遊びに来てくれたお正月。
92歳の母はとても喜んでいました。
大学生の甥っ子が、2年間付き合った彼女にふられた話に、母は声を出して大笑いしていました。(そこ、笑うところ?)
「なぜ、ふられたの?」
「『好きな人ができた』って言われた・・・。」
なんとわかりやすいストレートなふられ方(笑)
母が何か言うたびに、みんなが笑い、母は「私って人気者よね。」とみんなが帰った後言っておりました。
また来年もみんなが遊びに来てくれるといいな。
昔、私が子供の頃、父はお正月に職場の人たちをたくさん招き、食事をさせ、そのほとんどの人が泊まっていきました。
また年末には、私たち一家は、富山の田舎にある祖母の家に遊びにいきました。
祖母の家は、田舎にありがちなそれは大きな家で、布団が何組もありました。
家の中のあちこちに大きな押入れがあり、その中にいったい何組の布団が収納されていたのでしょうか。
食器どころか、ひとりひとりのお膳などもたくさんあり、二間続きの和室を開け放ち、法事も自宅でやっていました。
そう。
昭和のあの時代、それは当たり前のことだったのです。
私は「何でも溜め込む」「物を捨てない」母を批判していますが、昔はそれが必要だったのです。
たくさんの食器、たくさんの布団。
そしてそれらを収納できるスペースもあったのです。
物を処分するにあたって、物を片づけるにあたって、自分の物はともかく、母の物を処分する時は、言葉がけを考えるべきだと思いました。
「汚いよ」「使わないよ」「捨てようよ」ではなく。
「大切にとっておいたのね。」「さすがだわ。」「もう十分使ったね。」の言葉に変えよう。
・・・と思ったのですが。
今朝、シミだらけの母手編みのセーターを母が「ほどいて編みなおせばいいのよ。お湯でふやかして。」と言うので、声を荒げてしまった😓
「誰が編むのよっ!!!セーターくらい、ユニクロで買ってこようよっ!!!1980円で売ってるわ、洗濯機OKのセーターが!!!」
たぶんこれは父と母のペアルック⤵
ごめ~ん、おかあさん。
手編みのセーターたくさんあるけど、これらは捨てないよ。
編み込みのセーター、編むの大変だったよね。
でもシミがあったり、穴があいてたりして、もう着ることはないと思うから、押入れの奥の方にしまっておくね。
初めて会った甥っ子のお嫁さん。
帰り際に「きれいなお家での食事、とても楽しかったです。ありがとうございました。」と言ってくれました。
嬉しい。
今年も家をきれいにすべく頑張っていきます。