一昨日のNHKあさイチ「お出かけLIVE」北海道伊達市を紹介していました。
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胆振地方、札幌市と函館市のちょうど中間地点に位置している北海道伊達市です。
「室蘭のすぐ近くよ~」
伊達政宗の親戚、亘理伊達家が明治時代に北海道開拓団として移住してきて作った北海道伊達市。
伊達邦成に率いられ、たくさんの武士が北海道胆振地方の伊達市に住み着き、慣れぬ寒さに耐えながら、町を作ったのです。
江戸時代に作られたという亘理伊達家の兜、その前立ては毛虫をイメージしています。
毛虫は前にしか進まない。
戦場に立ったら、後ろにはさがらない、前へ進むという強い気持ちの表れです。
移住する時も故郷へは帰らないという意志が感じられます。
北海道にはいろいろな生産物がありますが、藍染めに使われる「藍」は北海道伊達市が全国第2位の生産量であることをご存じでしょうか。
1位は四国の徳島県、吉野川流域(阿波)です。3位は青森県青森市です。
明治時代に徳島から北海道伊達市に移住してきた人々が「藍」を持ち込んだのです。
四国から北海道へ移住してきた人がすごく多かったことが伺えます。
その「藍栽培」が定着して、北海道伊達市でたくさんの「藍」が生産されるようになりました。
「藍」といえば、NHK大河ドラマの影響で渋沢栄一を思い浮かべる人も多いと思います。
渋沢栄一の生家は埼玉県にあり、畑作や養蚕、藍染めの染料となる藍玉の製造販売などを営む豪農でした。
北埼玉地方などは、藍の生産で有名で、埼玉県の藍染めは渋沢栄一の頃明治時代には全国第2位の生産量を誇り、武州藍のブランドで知られたそうです。
「藍」の生産は多いのかもしれませんが、北海道で藍染めによる製品はそれほど有名ではないような気がします。
「聞いたことないね~」
ですよね~。
渋沢栄一は「良い藍を作ろう、阿波の藍に負けない藍にしよう。」と考え、「肥料が足りない」「乾燥が十分でない」と若い頃から藍葉の鑑定を行い、農家の人からも一目置かれたそうです。
「藍田は家を興す」といわれた藍は経済人渋沢栄一のルーツだったのかもしれません。