2024年7月3日から発行が始まり、1万円札の顔としてすっかりおなじみになった渋沢栄一。
渋沢栄一は明治から昭和にかけて実業家として活躍し、500もの企業の設立や育成に関わってきました。
日本資本主義の父です。
目次
農民の出でありながら一橋家に仕える
渋沢栄一(澁澤 榮一)は天保(1840)11年2月13日、現在の埼玉県深谷市で豊かな農家の長男として生まれました。
185年前の今日です。
父親は藍玉の製造を請け負う豪商で、年商1万両(現在のお金になおすと3億円)を稼ぐ豪農でした。
そんな栄一は農民出身でありながら、24歳で一橋慶喜に仕えることになります。
この頃の栄一のお給料は「4石2人扶持と月に4両1分」であると自叙伝の『
現在のお金に換算すると渋沢栄一の年収は182万円程度です。
幕末武士の年収の平均は180万円ほどです。
フランスで目覚めた栄一の実業家魂
1867年、栄一は慶喜の弟昭武率いる万国博覧会使節団の会計係としてフランスに渡ります。
それが栄一の人生を大きく変えます。
ヨーロッパで銀行や株式会社、なにより資本主義のシステムを知るのです。
しかし、そのパリ滞在の間に大政奉還が行われ、「徳川幕府」は終了していました。
明治の世の中
起業
栄一は近代国家を目指し、銀行を作ろうと奔走します。
資金を集め、1873年に日本初の民間銀行「第一国立銀行」(現みずほ銀行)を設立します。
その後次々と日本鉄道会社、日本郵船、富岡製糸場などを作り、近代化に必要な基幹産業をたちあげるのです。
電気(東京電力)、石油(ENEOS)、ガス(東京ガス)など今我々が身近にある会社も渋沢栄一がたちあげたものです。
社会福祉
その一方で社会福祉事業にも大きく貢献しました。
栄一は東京養育院を改革し、劣悪な環境だった施設に職業訓練や医療設備を導入し、学問を学べるよう整えていきます。
そのための資金調達に日本初チャリティーバザーの収益をあてます。
バザーの売上は3日間で7,500円(現在に換算すると3億円)にのぼりました。
結婚祝いにはむかない?
大河ドラマ『青天を衝け』では渋沢栄一の女性関係についてはかなり遠慮(?)して描かれていましたが、史実はそんなものではありません。
なので、「結婚祝いに渋沢の1万円札を使ってはいけない」という都市伝説がありますよ。
しかし渋沢の1万円札を使わないとなると、どうやってお祝いをあげればいいのだ?
結婚のお祝い金、振込にすればいいべか?
津田梅子(5千円札)は男嫌いです。
そして、北里柴三郎(千円札)の女関係もなかなかですよ?
女性関係のだらしなさは息子に遺伝した?
渋沢栄一もそうですが北里柴三郎もその女性にだらしない性格は息子に遺伝したようです。
栄一の長男で跡継ぎの篤二は新橋の芸者にのめり込み、妻を追い出して芸者を家に入れると言い出しました。
また、北里柴三郎の長男の俊太郎も若い芸者と不倫関係になり、中禅寺湖に身を投げ心中をはかりました。俊太郎は命を取り留めたものの、芸者の琴寿は溺死したのです。
渋沢栄一の著書『論語と算盤』は大谷翔平選手の愛読書だそうです。