NHKで『アンという名の少女2』が2021年9月12日にスタートします。
それに先駆けて、『アンという名の少女』が8月28日㈯、9月5日㈰、9月6日㈪に再放送されます。深夜放送ですから、放送日にご注意ください。
『アンという名の少女』の原作は、モンゴメリの不朽の名作『赤毛のアン』
そしてカナダの作品である『赤毛のアン』を日本に広めたのは村岡花子でした。
村岡花子を主人公にした朝ドラ『花子とアン』は本放送とBS、そして現在地上波で夕方にと3回も放送するほどの人気作品でした。
主人公はな以上にドラマを盛り上げたのがはなの腹心の友
目次
白蓮の生い立ち
白蓮の父は柳原前光伯爵。母は前光の妾のひとりで(何人妾がいたのだ?)柳橋の芸妓となっていた没落士族(新見正興)の娘。
そして白蓮は大正天皇の従妹にあたります。
妾の子である白蓮は、正妻の子として生後7日で柳原家に引き取られます。実母は白蓮が3歳の時に亡くなりました。
白蓮は自分が妾の子であるとは知らずに育ったのです。
最初の結婚と離婚
白蓮は14歳で7歳年上の遠縁の男性と結婚し15歳で出産します。
白蓮は最初の夫に罵られ、自分が妾の子であると知ります。しかしそれを言った夫も実は自分自身が妾の子であり、彼はその事実を知りませんでした。
20歳の時に白蓮の申し出で離縁します。
離縁した後に通った東洋英和女学校での生活で村岡花子と出会い、『花子とアン』の物語に繋がるのです。
九州の炭鉱王との再婚
東洋英和女学校卒業後、明治44(1911)年、25歳年上の九州の炭鉱王伊藤伝右衛門と再婚します。
『花子とアン』では伊藤家の女中頭のような存在だったサキは、史実では伝右衛門の妾。
その他にも派手な女性遍歴のある伝右衛門との生活は白蓮にとって孤独を極め、遊郭に入り浸る伝右衛門から病気をうつされることもありました。
時には白蓮自ら夫に妾をあてがうという歪んだ結婚生活の中、白蓮は歌に没頭します。
満たされぬ思いを短歌にしました。
誰か似る
鳴けようたへとあやさるる
緋房の籠の美しき鳥
この頃から「白蓮」を名乗るようになるのです。
帝大生との駆け落ち
大正9(1920)年、白蓮34歳。
白蓮は東京帝国大学の学生である宮崎龍介と出会います。宮崎龍介は白蓮より7歳年下でした。
普通選挙の実現や女性の社会参加を目指して活動していた宮崎龍介は、孫文を支援していた宮崎
大正10(1921)年10月20日、白蓮は宮崎龍介と駆け落ちをします。
2日後、白蓮から夫伊藤伝右衛門へ「公開絶縁状」を新聞で発表するのです📰
SNSでは世間から、激しい非難を受けます。「危険思想だ」「貴族にありがちな低能な女」「たった今死ね」などなど。
非難覚悟の「公開絶縁状」は姦通罪を避けるための白蓮の作戦でした。
伝右衛門は白蓮を離縁しますが、白蓮と宮崎龍介を姦通罪で訴えることはしませんでした。
『花子とアン』ではこのあたりの伝右衛門を吉田鋼太郎さんがとても魅力的に演じていらっしゃいました。
白蓮は宮崎龍介と結婚し、長男の香織、長女の
最愛の息子の戦死
しかし昭和16(1941)年、太平洋戦争開戦。
白蓮の息子、大学生の香織が召集され、白蓮は国のため息子を送りだす気持ちを雄々しく歌にします。
日の丸の御旗を肩にかけて征く
あれが我子よ
見てたもれ人
自分の息子が出征する姿を誇らしく思っている歌です。母としての心中はどうであったのか。
昭和20(1945)年8月15日。
白蓮は香織の帰りを待ちますが、鹿児島の基地で攻撃を受け、亡くなったという知らせを受け取るのです。
香織が亡くなったのは、終戦4日前の8月11日。
76年前の今日です。
たった4日
生きて居たらば死なざりし
命と思う4日が切なき
白蓮の髪は一夜にして真っ白になったといいます。←諸説あります。
晩年
白蓮は穏やかな晩年を過ごし、昭和42(1967)年2月22日、81歳で亡くなります。
亡くなった2月22日は奇しくも、56年前に日比谷大神宮で伊藤伝右衛門と結婚式を挙げた日でした。
もうひとりの息子
宮崎龍介との息子、香織は戦死しました。
娘である華道家の蕗苳さんは、NHK『歴史秘話ヒストリア』に出演されていたのを見たことがあります。
蕗苳さんのご主人は婿養子で、そのご主人との間に男の子がいて、宮崎家を存続させています。
白蓮には最初の結婚で、もうひとり息子がいます。
歌人の
功光は、母白蓮が離縁してからは祖母に育てられ、1942年には子爵を襲爵します。
東京帝国大学中退後に大学の講師などを務め、小説や歌集を発表します。
歌集は母白蓮への愛憎がテーマとなっており、平成元(1989)年、87歳で亡くなっています。白蓮と同じように長生きしたのです。
女性のための運動もしていた白蓮ですが、伊藤伝右衛門との結婚では小間使いの女性を頼みこんで妾にするなど、白蓮自身が女性蔑視をしていた過去があります。
また、最初の結婚での息子に対しては、母親としての情が感じられない態度を貫きます。
伊藤伝右衛門との再婚以上に、最初の結婚は白蓮にとって不幸だとは思いますが、その息子北小路功光こそ犠牲者のような気もいたします。
長い話を最後までお読みくださりありがとうございました。