暮らしと勉強、猫も介護も~Bettyのブログ

実家の母を介護するために北海道から引っ越してきました。片づけと大学通信教育部の勉強と猫と介護と。雑記ブログです。

徳川家康が夢見た日本の外交

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NHK大河ドラマ、来年は『どうする家康』です。

メインキャストが次々と発表になりました。

主人公、徳川家康はあまりにも有名ですが、その人物についてNHKBS『英雄たちの選択』2021年10月31日の放送を先日再放送していましたので、まとめさせていただきました。

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目次

 

大航海時代の世界と日本の関係

200年以上のもの間、鎖国状態にあった江戸時代。

それは徳川家康が描いていた国づくりだったのでしょうか。

 

鎖国は研究者は「海禁かいきん」といいます。

後の時代になると鎖国が祖法であると言われます。

家康は実は開国主義者だったのです。

 

大航海時代、ヨーロッパの事情

16世紀。日本が戦国時代だったころ。

世界は大航海時代でした。

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ヨーロッパ人は莫大な富と市場を求めて海外に進出しました。

それはまず、スペインとポルトガルという二大強国の世界侵略から始まりました。

両国は競うように勢力範囲を広げていき、ぶつかり合っていました。

 

日本にヨーロッパ人がやってきた

ジパング=日本のにヨーロッパ人は目をつけます。日本のは良質でした。

 

ポルトガル人が日本に鉄砲をもたらします。戦国大名たちは鉄砲に飛びつきます。

そしてもうひとつ、日本に大きな影響を与えたのがキリスト教です。バテレンと呼ばれた宣教師たちが布教します。イエズス会が中心となりました。

 

スペイン、ポルトガルの宣教師は世界各地に送り込まれていました。先住民にキリスト教を布教し時に侵略の手助けをしていきます。

オランダとイギリスのプロテスタント系の新しい宗教は、カトリック系のスペインポルトガルとは対立していました。

 

■16世紀ヨーロッパの様子■
  • 1568年 オランダがスペインに対し独立戦争を開始する
  • 1588年 イギリスが無敵といわれたスペイン艦隊を撃破する

 

世界は新たな時代を迎えようとしていました。

 

家康の外交政策

豊臣秀吉は明への征服をめざし朝鮮への侵略戦争をおこなっていました。

その結果、明国や朝鮮との断絶を招きました。

豊臣秀吉の死後、実験を握った徳川家康は、両国との貿易を再開するために関係修復を行うと同時に、スペインやポルトガルとの南蛮貿易とも積極的に関わろうとしていました。

関が原の合戦後。家康は、敗れた毛利氏から、日本最大の銀山石見銀山いわみぎんざんを取り上げます。

その豊富なを背景に積極的な外交をすすめていきます。

タイ、カンボジアベトナムなどと朱印船貿易を開始しました。

 

オランダとの交易

家康は、鉄砲などの武器や銃弾以外に中国産の生糸の貿易に目をつけます。

その貿易はポルトガルイエズス会に独占されていたため、価格が高騰することもありましたが、自由競争になれば生糸の価格が低くなると家康は考えました。

ポルトガルと敵対するオランダは1602年に東インド会社を設立、アジア貿易の勢力を拡大していました。

そのオランダ使節団を駿府城に招きます。

イエズス会から「オランダ人は悪い奴だよ。」と告げ口されるも、家康はそれを退けたのです。

長崎県平戸にオランダ商館が設立されます。

 

家康の外交政策

家康は将軍職を秀忠に譲った後、慶長12(1607)年以降さまざまな外交政策を打ち出します。

慶長15(1610)年、スペイン領メキシコとの交易のために行動を起こします。

スペイン国王へ親書を送り、その返事として翌年スペイン王国の使者ビスカイノが家康のいる駿府にやってきます。

1646年刊行の『オランダ東インド会社の起源と発展』(国際日本文化研究センター所蔵)には、その謁見について詳細の書かれています。

 

キリスト教排除?どうする家康

慶長17(1612)年2月。西国大名の有馬晴信が家康側近の岡本大八に賄賂を送ったことが発覚。

有馬晴信岡本大八を処罰しますが、両者はキリシタンでした。イエズス会岡本大八を裏で操っていたという事実に恐怖を覚えます。

スペインポルトガルキリスト教を布教することによって、日本を乗っ取るのではないか。

一向一揆などで、宗教勢力の怖さを知っている家康は、教会の破壊と布教の禁止を命じます。

キリシタン禁教令です。

宣教師や改宗しない大名をマカオやマニラへ追放します。

それは布教と貿易を一体とみなしていたカトリック諸国の排除でした。

スペインは日本との新たな貿易は実現せず、ポルトガルは商人だけが日本との行き来を許されます。

オランダイギリス東南アジアなど、キリスト教布教とは関係のない国との貿易は続けられます。

 

キリスト教禁止から鎖国体制へ

幼少期、今川や織田による人質時代を送っていた家康は、自分の力ではどうにもならない外交の中の渦というのがわかっていたのかもしれません。

元和2(1616)年4月17日、家康は亡くなります。406年前の今日です。

 

それからほどなくして、二代将軍秀忠が中国船以外は平戸長崎(幕府直轄地)だけに制限する二港制限令を打ち出します。

三代将軍家光になるとさらにキリスト教の弾圧も強化され、元和8(1622)年元和の大殉教が起こり、寛永18(1641)年、ヨーロッパとの貿易を長崎出島だけに制限する鎖国体制が完成したのです。

 

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徳川家康が夢見た開国への夢は道を断たれたのです。

 

 

関が原の戦いの5か月前。

家康に大きな影響を与えたイギリス人航海士がいました。

ウィリアム・アダムスです。

彼についてはいずれまた。

 

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