明治から昭和を生きたジャーナリスト堺利彦(政治家、活動家)は、明治時代の雑誌『家庭雑誌』で「老人問題」に触れ、デンマークの養老院を良い例としてあげています。
しかし、もっと昔、江戸時代の武士はどのように老親の介護を行っていたのでしょうか。
当時は現代のような介護保険体制がありませんでした。
現代においても、親の介護に直面して初めて介護保険について詳しく知ることになった人が多いでしょう。

目次
「看病引」とは?
介護保険制度はありませんが、江戸時代の記録で「看病引」というワードがでてきます。
これは今でいう「介護休暇」です。
沼津藩の水野重教が、脳卒中の後遺症で中風になった父親の介護のために休みが欲しいと願い出て認められたのです。
私の祖父も中風で長く寝たきりでした。昭和40年代ですから、家族で自宅介護し看取りました。
老親の介護は男性がする?
『仙台孝義録』を対象とした研究によると、老親の介護で表彰されている事例は373件あり、そのうち介護者として最多だったのは「男性(実子・養子・継子)」で全体の52.5%(196件)であり、「女性(娘・養女・嫁)」は24.1%(90件)だそうです。
老親介護の担い手として男性が半数以上であり、女性の割合を大きく上回っています。
この結果を踏まえて、「江戸時代は男性が老親の介護を担うのが主流だったのかしら?」と結論付けるのは違うと私は思います。
この数字は、あくまでも「老親の介護で表彰された結果」であり、表彰されることなく、ひっそりと親の介護をしていたのは、女性の方が多い可能性が高いと私は考えます。
ちなみに内閣府『令和3年版高齢社会白書』によると、現代人が同居の高齢者を介護する場合、息子や養子など男性の割合は35%、娘や息子の配偶者など女性の割合は65%です。
参考文献⤵

