NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で、たくさんの作家が登場します。
古川雄大さん演じる
目次
出版ブームの江戸
田沼の時代、ドラマでもおわかりのように空前の出版ブーム。
100万都市江戸の町人の半数が文字が読めるという世界でも類をみない識字率の高さが影響したのでしょう。
ここで活躍していたのが版元の蔦屋重三郎と、戯作者の
中には1万部近く売り上げた作品もありました。
京伝のヒット作が、黄表紙『
大金持ちだけど見た目がイマイチの主人公の姿を面白おかしく描いた作品です。
山東京伝の作品
北尾政演こと山東京伝(以下、京伝で統一)は端正な顔立ちで、吉原遊びも器用にこなす遊び人でした。遊郭のことも知り尽くしています。おしゃれが何かもわかっています。
作品は、「しゃれたユーモア」が得意なのです。

寛政3(1791)年3月、活況を呈していた江戸の出版界に激震が走ります。
京伝が蔦屋から刊行していた3冊が幕府から発禁処分を受けたのです。
幕府が質素倹約と引き締めを行っていた時に、遊女の生活や客との駆け引きを描いた好色本を出版したことに幕閣の逆鱗に触れたのです。
版元の蔦屋は財産の半分を没収、京伝は50日の手鎖という厳しい処分が下ります。
気落ちした京伝はすっかり創作意欲をなくしてしまいます。
京伝の2人の妻
京伝は30歳の時に新吉原の花魁を身請けし正妻にします。
年季が明けた27歳の菊園です。『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』にも登場しました。
京伝の両親も吉原出身の菊園を受け入れますが、菊園は3年後に婦人病(子宮がんと推測されます)を患い死去したため、後妻をもらうのですが、こちらも身請けした遊女でした。
菊園の死後、京伝は銀座に京屋伝蔵店を開店し、大人気となりました。
この頃は専業の職業作家は存在していませんでした。
ベストセラー作家の京伝も煙草入れなどを商う店の方が本業だったのです。
京伝は40歳で遊女玉の井(23歳)を20両あまりで身請けし、2人めの妻として迎えました。
何しろ「年の差婚」ですから、自分亡き後の若い妻が生活に困らずに暮らしていけるよう株を購入し、毎月利益が得られるように準備していたといいます。
後輩の曲亭馬琴(滝沢馬琴)は「あなたが奥さんの老後を思うなら、あなた自身が長生きするしかない」と京伝に言っていたそうです。
遊女観をめぐって馬琴と口論になった時に京伝は「遊女が身売りするのは親兄弟のためであることがほとんどだ。身体を万客に任せる遊女を憐れまずにいられようか」と怒りをあらわにしたとの逸話あり。
京伝の死後
遊里本『洒落本』で常に遊女の立場に理解を示した山東京伝は、文化13年9月7日、西暦ですと1816年10月27日、つまり209年前の今日、亡くなります。
死因は脚気衝心、ビタミンB1欠乏症による心不全であると伝わります。
前日まではいつも通り執筆し、当日に宴会に出席したものの、帰宅途中で体調不良となり、帰宅後亡くなりました。
まさにピンピンコロです。
京伝があれほど心配していた若い妻玉の井はその後、曲亭馬琴の記録によると…
京伝の弟が乗り込んできて、玉の井は物置に閉じ込められてしまい翌春に亡くなります。
弟はちゃっかり京伝の遺産を継いで家まで新築してしまったというオチです。※諸説あり
先週の『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』に曲亭馬琴が登場したら、その放送直後から急に私の過去ブログ「滝沢馬琴と息子の嫁」のアクセス数が伸びました⤴

京伝、ビタミンB1欠乏だなんて、玄米ではなく白米を食べていたのかなぁ。
ビタミンB1欠乏には気をつけないとね。

