弥生時代には稲作が行われていた。
これはみなさんもよくご存じかと思います。
では、縄文時代では稲作はなかった?
稲作もなかったけど農耕文化はあった?
この縄文農耕論争は、明治時代からずっと研究者たちの注目でした。
それらの木は野生で自生しますから、栽培しなくても採取できます。
縄文時代は狩猟採集民族であるというイメージがあります。
木の実や魚、動物など、自然の恵みの中で生計をたてていたのです。
でも、それだけでしょうか?
たとえばクリは自然の中で生息されたものをもっと品質改良…とまではいかなくても、手入れをすることで、より大きく、より味の良い、より数多くの実を収穫することが可能であると、すでに日本人は縄文時代の段階で、知っており、それを実行していたのではないか?
野生の中で大きな栗を種として、栽培すれば、その木には大粒の実がなる可能性が高い。
それを繰り返して、縄文時代の農耕文化ができあがったのではないか?
栗の栽培が明らかになった遺跡は、青森県の「三内丸山遺跡」が有名です。
イネ、アワ、キビなどの穀物類ではなく、その前にクリの栽培が縄文時代に行われていた。
約5500年前~4000年前の縄文時代前期中葉から中期末の集落跡で、クリの栽培が明らかになったのです。
出土されたクリは野生種より大粒で、当時の人々はすでに相当な技術をもっていて、もしかしたら肥料を施して栽培していた?
クリは縄文人にとって、とても大切なエネルギー源でした。
2009年、縄文中期土器の圧痕からダイズが確認できました。
ダイズは野生では作れません。
野生の種を人間が手を加える必要があります。
ゴマやダイズ、アズキなどの特定植物が縄文人によって栽培され、日本列島独自に栽培化が進んでいったのです。
そう。
縄文時代に栽培農耕はあったのです。