地元鹿児島では大人気の西郷隆盛。
その西郷の相棒といわれる大久保利通。
西郷隆盛の人気の陰で、大久保利通とはどんな人物だったのでしょうか。
目次
出生
大久保利通は文政13年8月10日に薩摩藩下級武士の子として生まれました。西暦でいうと1830年9月26日。191年前の今日です。
西郷隆盛より3歳年下でした。
嘉永3(1850)年、藩の騒動に巻き込まれて大久保利通の父が流罪になりました。
家計が苦しくなった大久保家は西郷隆盛の家に助けられました。西郷の家も決して裕福ではありませんでした。
下級武士から薩摩の2トップへ
嘉永6(1853)年に黒船が来航し、徳川幕府の権威が失墜。国内は混乱します。薩摩藩でも危機感が高まりました。
藩主島津斉彬に認められた西郷と大久保は日本中を奔走するようになります。薩摩から飛び出したのです。
理解者である島津斉彬が亡くなると、西郷はトラブルを起こし島送りになります。
大久保は島津久光に登用され、藩政に参加するようになると西郷を復帰できるように願い出ます。
こうして大久保と西郷は薩摩の2トップになったのです。
大久保利通と明治天皇
慶応4(1868)年、長州と連合を結んだ薩摩は幕府を追い落とし、人望熱い西郷は新政府の軍司令官に就任します。
日本の近代への扉が開かれました。
西郷は軍の参謀として江戸を攻めます。明治新政府は当初京におかれ、大久保はそこで新政府の体制づくりに追われます。
当時、天皇は何百年も政治に携わることはなく、側近の公家たちがすべてを取り計らっていました。
しかし新政府の中心は明治天皇でなければならないと考えた大久保は、わずか17歳の明治天皇を補佐します。
公家たちを天皇から遠ざけ、東京と名前を変えた江戸で、明治天皇を教育します。
ナポレオンを見習って乗馬を教えます。また大久保はスプーンで食事をし、天皇に西洋料理のマナーも教えます。
ちなみに西郷は皿を持って、スプーンを使わずにごくごくとスープを飲んだそうです(笑)
留学
明治4(1871)年、大久保利通42歳。
日本を西郷にまかせて、大久保ら政府首脳は海外に出発します。アメリカやヨーロッパを1年以上かけて回ります。
初めて見る西洋文明に大久保は圧倒されます。
日本は何もかも西洋式にする必要があると考えました。
西郷隆盛と大久保利通の関係
西南戦争と万国博覧会
紀尾井坂の変
座右の銘
維新の三傑