暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

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「おんな太閤記」最終回

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1年間にわたって、日曜日朝に放送されていた大河ドラマアンコールおんな太閤記が先週終了しました。

主人公は、豊臣秀吉の正妻北政所

若い頃私は毎週視聴していたので、内容は覚えています。

あまり好みの大河ドラマではなかったのですが、夏目雅子さんのお市の方池上季実子さんの淀殿が好きでした。

 

 

目次

 

二条城会見

おんな太閤記」最終回は、慶長16(1611)年3月28日から始まります。

412年前の今日です。

京都二条城にて、秀吉の長男豊臣秀頼が、後陽成ごようぜい天皇の攘夷に関連して上洛した家康に会うのです。

いわゆる二条城会見です。

この会見によって、家康は秀頼に対して臣従を突きつけた形になります。

豊臣家と徳川家の立場が逆転した瞬間です。

家康と秀頼の対面は8年ぶり。

前回会った時に11歳だった幼子の秀頼は、19歳のかなりデカい青年になっていました。身長が180㎝超え、いや190㎝くらいあったという説も。

ちんちくりんの秀吉の面影を思っていた家康は、淀殿似の秀頼に、「ビジュアル」では敗北感味わったかな?淀殿もかなり高身長の女性だったそうです。

成長した秀頼を目の当たりにして、見た目でだけでなく、中身もその才を感じ取った家康は「豊臣一族滅亡」への覚悟を決めたのかもしれません。

 

大坂冬の陣と夏の陣

こうして迎えた豊臣VS徳川。

大坂冬の陣では、真田幸村の活躍もあり、豊臣方は善戦します。

迎えた和睦で、「大坂城の外堀だけ埋めさせてもらうね。」と約束した家康は、ちゃっかり外堀も内堀も埋めてしまいます。

それを指摘すると、「ごめ~ん、まちがえて内堀も埋めちゃったぁ。」とすっとぼけます。

家康とはそうゆうやつなのです。

「どうする家康」の三河一向一揆でも「本願寺は元通りにするね。」と約束しておき、お寺を復元するのではなく、お寺が建つ前のまっさらの更地にしちゃったんですよね。史実らしいです。

 

内堀まで埋められて、淀殿は烈火のごとく怒り狂い、家康との戦を決意します。

大坂夏の陣です。

ここんとこ、2016年大河ドラマ真田丸」を思い出します。

 

 
おんな太閤記」では、「真田幸村無念にも果たせず、あい果てましてございます。」のセリフ死(台詞の中で死亡を視聴者に伝える)で、真田幸村の存在感が薄いです。
 

淀殿の台詞、橋田寿賀子脚本

大坂夏の陣で、燃え盛る城中「もうこれまで…」と淀殿は覚悟を決め、逃がす千姫に伝える台詞がいいのです。
若い時、池上季実子さんのこの台詞で私は大泣きしました。
「そなたは即刻城を出て、家康の本陣にお帰りなさい。治長、千姫に然るべき供をつけて。治長、早う。(千姫は)7歳で大坂へ来てさぞ辛かったであろう。よう、辛抱してくだされた。じゃが、そなたの役目は終わった。そなたはまだ若い、これからじゃ。大坂のことは忘れて新しい幸せをみつけてくだされ。そうじゃ、お江に会ったらのう、淀はおのれの思うように生きた。私はこの大坂城とともに果てるが、悲しんではくだされるな。今は亡き父上や母上、浅井の血はお江で受け継がれる。徳川とともに生き続ける。」
 

千姫

大坂夏の陣で、家康の元に戻った千姫はその後本多忠刻と再婚します。
本多忠刻は、徳川家康と築山殿のひ孫になります。
忠刻と千姫の間に生まれた勝姫から、徳川最後の将軍徳川慶喜へと血脈は繋がります。

Wikipediaよりお借りしました

織田の血、浅井の血。徳川の血、築山殿の血。すべて徳川慶喜へと続きます。

 

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1981年大河ドラマおんな太閤記」で、千姫を演じたのは高見知佳さん。
私と同世代の高見知佳さんが、昨年12月に亡くなったことは、とてもショックでした。
 
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4月からは、4Kリマスター版で「篤姫」が始まります。

篤姫」はNHKオンデマンドで全話視聴したところだから、もう見ない。

 

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