登場人物に「藤原」が多すぎて、誰が誰だか、自分の脳内が追いつけません。
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さがな者の藤原隆家
藤原道長の兄、藤原道隆には、伊周や定子など優秀な子がいますが、その弟が隆家。
母は歌人としても名高い道隆の嫡妻高階貴子。
竜星涼さん演じる藤原隆家は、わずか11歳で従五位下に叙され、その後怒涛の出世を果たすのですが。
ドラマでも描かれているように「さがな者」(荒くれ者)として有名だったようです。
姉である定子の女房清少納言ともいろいろあったのか『枕草子』でも逸話が伝えられています。
時の権力者道長でさえ隆家が苦手
隆家は、叔父である藤原道長の嫌がらせに屈しない気骨のある人物としても知られており、姉が産んだ
そう、東宮となったのは、道長の娘藤原彰子が産んだ敦成親王でした。
道長はこの甥っ子の隆家が苦手だったみたいですね。
「もし敦康親王が即位して隆家が政治を補佐したならば、天下はよく治まるだろう」という世人の密かな期待があったとかなかったとか。
太宰府にて
敦康親王の母である姉定子は24歳で第3子出産直後に亡くなり、兄伊周は失意の中37歳で亡くなりますが、隆家は66歳とまあまあ長生き。
隆家は長和4(1015)年に正二位に叙せられると以降太宰府に赴き、よくその地を治めたようです。
都では貴公子の隆家ですが、そもそもが「さがな者」だっただけに、現地の武士たちの方が相性が良かったのかもしれません。
隆家の子、藤原経輔
経輔は父親に似ていたのか?
『小右記』万寿元年7月17日条によると、後一条天皇が一条院内裏の紫宸殿で相撲を観戦中、権右中弁・藤原経輔と蔵人式部丞・源成任が髻を掴み合う喧嘩を起こしました。
西暦でいうと1024年8月23日。1000年前の今日です。
その数日後、経輔は成任に一方的に暴行を加えた上に、宿所に逃げ込んだ成任を従者に追わせ宿所を破壊させてます。
その子孫が『鎌倉殿の13人』につながった
経輔の5世孫に
一条長成の妻は常盤御前。源義朝の死後、長成に嫁いだのですね。
『鎌倉殿の13人』に繋がりましたね!