NHKBSプレミアム大河ドラマアンコール放送の『黄金の日日』を楽しんで観ています。
8月1日㈰放送の段階で、天正3(1575)年。
主人公助左は、長浜と都を往復し琵琶湖で荷物を運ぶ仕事をしています。
そしてその頃、織田信長は、安土城を築こうと計画していました。天下取りを目前とした信長が最後に手掛けた究極の城です。
目次
信長のお引っ越し歴
信長は、生涯にわたって何度か引っ越しをしました。
信長生誕 那古野城
信長22歳 清洲城
信長30歳 小牧山城
信長34歳 岐阜城
信長43歳 安土城
当時の武将としては、わりと本拠地を転々とした信長。
目標に合わせて城を移す効率重視の生き方をしてきたのです。
信長の居城
那古野城
信長が生まれたのは今川氏が築いた那古野城。その跡地周辺に1610年徳川家康が築いたのが名古屋城です。
名古屋城は明治維新まで徳川御三家の1つである尾張徳川家17代の居城でした。
清洲城
桶狭間の戦い後、信長は攻略した城をそのまま引き継いだ清洲城を本拠としました。
清洲城は平地に建てられていたため、水に弱かった。
地水に苦労したため、新しい城を建設します。
小牧山城
水に苦労した信長が初めて築いた城が、愛知県の小牧山城。
現在は城をかたどった史料館があるのみです。
岐阜城
天空にそびえる城、岐阜城。
ロープウェイで登ることもできますが、自分の足で登るならオトナの足でたっぷり40分。
現在天守閣の中は展示室になっています。最上階の展望室からは濃尾平野が一望できます。
美濃を攻略してこの景色を眺めていた時期、信長は天下取りを決意していたのかもしれません。
ポルトガル宣教師ルイス・フロイスは、信長が岐阜城に入った2年後に城に招かれました。
信長はキリスト教に関して寛容です。新しいものや珍しいものが好きです。ワインとか金平糖とかもらうと喜びます。
「イエズス会日本報告集」によると「岐阜の街は人口8,000~10,000人。塩を積んだ多くの馬や商品を携えた商人たちが諸国から集まり、あたかも伝説の都市バビロンのような混雑だった。」とルイス・フロイスは伝えています。
安土城
琵琶湖のほとりに築かれたその城は、赤・青・金色の八角形の望楼のある独創的な建物でした。
『黄金の日日』では、ルイス・フロイスは安土城建設の設計図を見せられ「安土城は悪魔の館のようだ。」と助左や高山右近に言います。
天下取りを目前にしていた信長はこの時期、足利義昭のお手紙攻撃に賛同したたくさんの武将たち(朝倉とか、浅井とか、三好とか、六角とか、松永とか)によって形勢が不利になっていました。
このあたりは『麒麟がくる』で詳しくやってましたね。
形勢逆転のため、着目したのが反信長勢力の真ん中にあった琵琶湖だったのです。
安土城は、今まで信長が何度か過ごした城の集大成でした。
現在の安土山周辺は田園風景が広がっていますが、当時の安土城は水に囲まれていました。
琵琶湖周辺には、木下藤吉郎の長浜城、明智光秀の坂本城、津田信澄の大溝城があり、琵琶湖が巨大な要塞となったのです。
結局その明智光秀にやられちゃったんだけど。
安土城は燃えてなくなります。
黄金の日日
8月1日㈰放送の『黄金の日日』は、私が大好きな回でした。
石田佐吉(後の三成)が初登場、そして三成の初恋の人たま(後の細川ガラシャ夫人)に出会うのです。もちろんドラマ上でのお話ですが。
オリンピック放送のため『青天を衝け』はお休みしています。
『黄金の日日』は休止していません。日曜日の朝の楽しみになっています。
高校生の頃に視聴していた『黄金の日日』。
(我が家には)ビデオデッキがなかった時代のドラマですが、ひとつひとつの場面や台詞が心の中に浸透していることに我ながらびっくりします。