今週のお題「自由研究」
ワタクシの自由研究は「百万石音頭」です。
先日の「名古屋ばやし」のブログでは、皆様たくさんのコメントをありがとうございます。
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東海地方以外では、おそらく皆さんご存じないだろうなと思っていた「名古屋ばやし」、予想に反して、東海地方在住であろうブロガーさんもご存じなかったという事実(笑)
ご存じなかった読者の方もわざわざ検索🔍して、Youtubeで聴いてくださったそうで、ありがとうございます。
さて、私のブログは妹も読んでいるのですが、妹がその「名古屋ばやし」のブログを読み、「ねぇねぇ、私たちが小さい頃盆踊りで踊っていた金沢の『百万石音頭』の知名度はどのくらいかしら。」と言い出しました(笑)
今日は「百万石音頭」のお話です♪
目次
「百万石音頭」を検索してみると、知らなかった事実がいろいろ出てきました。
「百万石音頭」の作曲者と歌手
「名古屋ばやし」の作曲が、実はあの有名な中山晋平氏です。そんな有名な方が作曲したんだ、さすが尾張名古屋だな~と思っていたのですが。
「百万石音頭」の作曲は古関裕而氏です。
そう!昨年の朝ドラ『エール』で有名になった、あの古関裕而ですよ。窪田正孝さんが演じていらっしゃいました。
そして「百万石音頭」の歌手は、やはり『エール』に出ていた伊藤久男さんです。山崎育三郎さんが演じていらっしゃいました。
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■「百万石音頭」誕生秘話■
「百万石音頭」は作詞が丘
灯至夫氏(「高校三年生」の作詞者)で作曲が
古関裕而氏。このコンビで昭和29年
コロムビアレコードが全国の盆踊り用レコードとして46枚一挙に発売した。
「百万石音頭」は、盆踊りで踊る庶民的なイメージではなく、ちょっと格調高い旋律です。
金沢市では、昭和27年から始まった「百万石祭り」があります。
毎年6月に行われるその祭りは「百万石行列」始め、多彩な催しが繰り広げられます。
昭和29年にこの祭りを盛り上げようと「百万石音頭」が創作され、中央公園に盆踊りが加えられました。
この歌は、
前田利家公と百万石の
雄大さが表現された踊り唄です。
「百万石音頭」歌詞からの考察
鏡山旧絵錦
一題目の歌詞に
「お城とろうか百万石の 男度胸 エエエ 鏡山」とあるのですが、この歌詞は、
享保9(1724)年
石見国(
島根県)
浜田藩江戸屋敷で起こった女仇討ちの
「鏡山事件」と
寛延元(1748)年天下(百万石のお城)を乗っ取ろうとしたという
加賀藩主
江戸屋敷で起こった
「加賀騒動」、この2つを絡めて創作された歌舞伎の演目「加賀見山旧錦絵」もしくは「鏡山旧錦絵」を歌っているようです。
加賀騒動は、茶坊主から加賀藩の重鎮に上がった大槻伝蔵が保守派との確執、それから藩主毒殺未遂事件まで発展します。
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鏡山事件の主人公みち
鏡山事件に悲劇の主人公みちは、心優しく、良く動き、奥方様からも寵愛され、奥女中達からも慕われていた淑女でしたが、些細なことから局からとがめられ、それが原因で自害します。
その仇討ち事件が発生することになります。
浜田藩主は松山(標高69m)という小高い山にみちの墓を建てて弔い、後世淑女の鏡としてこの山を「鏡山」と改めたのです。
男の心意気
これらの物語が、歌舞伎で登場し、粋に大見得を切る、「男の心意気」が伝わってくる…と考察されます。
以上、「金沢市民謡協会」より引用
幼少の頃の思い出
ということで、Youtubeで早速「百万石音頭」を見つけて、TVに映し出し、踊り狂っていた私と妹なのでした(笑)
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妹は、小さい頃のことをよく覚えています。
私は妹に言われるまで「百万石音頭」の存在を忘れていました。
先日の「名古屋ばやし」もそうですが、母も昔のことをよく覚えています。小さい頃の思い出話ばかりします。
私は自分が高齢になった時、
認知症になった時、小さな頃のことを話すでしょうか。
今、小さな頃の記憶がそれほど鮮明ではないのですが、
認知症になった時に思い出すのでしょうか。
認知症に良い「回想療法」、音楽を聴くのもその療法の1つです。
懐かしい曲を歌うのもいいし、踊るのもいい。
リンク
でも私は、自分がシニアになった時は「百万石音頭」よりも、大好きな洋楽を聴いて踊りたいよ(笑)
「百万石音頭」は、盆踊りの曲にしては、ちょっと敷居が高いような高貴な感じというか、庶民が口ずさむという感じではありません。
品があります。
さすがクラシック出身の
古関裕而さん、良い曲を作ってらっしゃいますねぇ。
丘灯至夫さんの詩もいい。