NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も、1979年大河ドラマ『草燃える』にしても。
すべて『吾妻鏡』が基礎になっています。
『吾妻鏡』は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、治承4(1180)年から文永3(1266)年までの幕府の事績を記してあります。
あくまで北条得宗家の側からの記述であることに注意する必要がありますが、日本における武家政権の最初の記録なので、研究の基本史料となります。
781年前の今日の日記です。
仁治二年十一月二十五日
二十五日、今日の夕方に、府武州(北条泰時)の邸宅で、酒宴があった。
北条親衛(経時)、陸奥掃部助(北条実時)、若狭前吏(三浦泰村)、佐渡前司(後藤基綱)らが着座した。
信濃民部大夫人道(二階堂行盛)、太田民部大夫(三善康連)ら、文士も数名参加した。
酒宴の時に雑談をし、その多くは政治の話であった。
亭主の泰時が経時を諫めて言うには、「学問を好むことは、武家の政治を助けることになる。そのため、何事も実時に相談しなさい。二人(経時と実時)は互いに水魚の思いと言える関係を築くように」とのことである。
そこで(経時と実時は)お互いに盃を交わした。
今夜の会合では、このことが一番重要な出来事であった。
北条実時は北条泰時の甥。金沢流北条氏の初代で、後に金沢実時とも呼ばれます。蔵書を集めた金沢文庫(横浜市金沢区)を創設した人としても有名。
孫と甥っ子を諭す泰時の人柄がでている文章です。
仁治2年6月に体調を崩した泰時は回復しますが、翌年に亡くなっています。享年60。
亡くなる前年の11月のこの酒宴の席で、泰時は自分が長くないであろうと予感して、孫と甥っ子に将来を託すような話をしたのでしょうか。
最期まで誠実な泰時。
名執権でありながら、父の義時とはちょっと違う一生を全うしたのでしょう。
ダークサイドにどんどん落ちていく北条義時とは対照的なピュアで可愛い(お酒弱いw)泰時。
『鎌倉殿の13人』では、泰時が主人公みたいな立ち位置になってきましたね。
演じる坂口健太郎さんは「ウラ話トークSP」で、自分(泰時)が「未来を予想させる人」であるとおっしゃってました。
『鎌倉殿の13人』、公暁が実朝を襲う「審判の日」
2話にまたがるとは想定外でした。
明後日の放送が楽しみなような、怖いような。
『吾妻鏡』では、義時は直前に白い犬の幻影を見て気分が悪くなり、その場をはなれたため命拾いしたと記してあります。