今からおよそ1300年近く前の奈良時代。
日本は疫病の大流行パンデミックに襲われていました。
天然痘です。
ウィルスは飛沫感染、接触感染で一気に広まり、国民のおよそ3分の1が死亡したと伝わっています。
平城京は異常事態となります。
そして政権を担っていたのが
目次
天平パンデミック
天平4(732)年元旦。
平城京の大極殿で天皇の権威を形と示すための儀式が行われました。
「大宝律令」を施行してから30年。
人口は増加し国力は充実、トップに君臨する聖武天皇は得意の絶頂でした。
天然痘の大流行
当時の記録『続日本紀』によるとあっという間に日本あちこちに蔓延していきます。
天平7(735)~9(737)年にかけて全国で猛威をふるいます。
疫病対策
「生水は飲むな」「体を温めよ」「ニラやネギを煮て食べよ」などの対策をたてます。
また衛生対策から、大皿から食事をするのではなく、それぞれの小皿に取り分けるような習慣になります。←これは現代にも通じますね。
パンデミックは終わらない
しかし天然痘の流行は終わらない。
貴族たちにも襲い掛かり、天平9(737)年には藤原四兄弟が全員死去します。←人々はこれを「長屋王の祟り」だと噂した。
そして当時の公卿8人のうち5人が亡くなるという異常事態になります。
聖武天皇は「朕の不徳が災いを招いてしまった」と悲しむのです。聖武天皇ってけっこう自分を責めるよね。
天皇の権威失墜
人口の3分の1が亡くなったというのは、14世紀のヨーロッパのパンデミック「ペスト」が思い出されます。
この時には教会の権威の失墜が露わになりました。
「教会は偉そうなこといってるけど、何もできないじゃ~ん。」みたいな?
それと同じで、この天平パンデミックでは、天皇の権威がどんどん失墜していき、統治機構が成り立たなくなる危機に直面するわけです。
橘諸兄登場
天平9(737)年、秋。
天然痘は終息に向かいつつあります。
藤原四兄弟亡き後、大納言に抜擢され、新たに政権を担ったのが橘諸兄です。
天然痘で疲弊した国力の回復を目指します。
①農民を高利から守る
まずは農民の負担を軽減させるため、種もみの貸付などを低い利率で国が行います。
②国防より国力回復を優先
そして国防より国力回復を優先させるため、新羅対策の軍団に農民を徴用していましたが、これを廃止します。←しかし兵士であれば税を免除されるのに農民だと租税を負担しなければならないので、農民にとっては良かったのか悪かったのか?
③行政のスリム化
また行政の簡素化を計りました。郡司の定員を減らし、国司を増やしたことで直接全国各地を支配できるようにします。
こうして橘諸兄の尽力で国力は徐々に回復していくのです。
心機一転、恭仁京へ遷都しよう
天平12(747)年10月。
何を思ったのか、聖武天皇は平城京を離れ、東国へ旅立ちます。そして2か月後。新たな都
なぜ?藤原広嗣が反乱を起こしたから?
そうでもないみたいなんだよね~。
反乱以前から遷都は計画されてたみたいだし。平城京の嫌な出来事から気持ちを切り替えたかったのかもしれないねぇ。
そして仏の力で国を守る鎮護国家を目指すために、全国各地に国分寺を建立します。
しかし、恭仁京の造営や国分寺の建立には莫大な費用と労力が必要となり、これは国民に負担となります。
ただでさえ、人口が減って労力も減り、税金も少なくなってるっていうのに。
当時の考えでは神だのみというのが大切だったんだよ。
お経を読んだことで疫病が収まったとも考えられてるし。
橘諸兄って頭良くて有能だけど、酒癖悪かったみたいよ。
律令国家崩壊
墾田永年私財法
橘諸兄は聖武天皇に進言し、天平15(743)年に「墾田永年私財法」が出されます。
開墾した土地は永年にわたり私財と認められるようになったのです。
この墾田永年私財法で土地の私有を認めたことが律令国家崩壊の原因になったと言われていますが。
国としてはどうしても確実な租税が欲しかったのでしょう。古代国家の基盤を築いたのだとも考えられます。
余談ですが、この「墾田永年私財法」という言葉は、受験勉強で覚えた最も語感の気持ちいい言葉だそうですよ(笑)
大仏建立と平城京への帰還
その後も聖武天皇は大仏建立に積極的ですが、橘諸兄はそれに疑問を感じていたのではないかという研究者もいます。
大仏造立中の紫香楽宮付近が頻繁に放火(大仏建立に反対していた人たちの仕業?)され、また地震が起こり、不吉なことが続いたので、聖武天皇は平城京に戻ることを決意します。
大仏建立の影響で農民は苦しめられ、浮浪者や餓死者が後を絶たなかったという。
聖武天皇は天平勝宝8年に亡くなり、橘諸兄はその翌年天平勝宝9年1月6日に亡くなります。西暦でいうと757年1月30日。1265年前の今日です。享年74歳。
令和オミクロンの影響
オミクロン感染がまだまだ増え続けており、令和のコロナ禍は終息が見えません。
職員などの感染で保育園が休園となった場合、保育園にお子様を預けて働いているお母さんたちは、仕事を休まなくてはならない状況になってしまいます。
それで手が足りなくなる医療現場も出てきて、悪循環です。
私の孫も4月から保育園に通う予定です。
育児と仕事をずっと両立させてきた妹から「保育園が休園になった時の対策を考えておかなきゃだめよ。」と言われています。
保育園休園した時のシュミレーション
二女夫婦出勤後、午前中は二女夫婦の近所に住む大ママ(二女の旦那様のお母さま)にお孫ちゃんの世話を頼む。
片道2時間近くかけて、私が二女宅へ向かいお孫ちゃんの世話を引き継ぐ。その間、母は留守番になるので、昼ご飯の世話は近所に住む義弟(妹の旦那様、テレワーク中)にお願いする。母の夕飯は妹に仕事帰りに寄ってもらう。
二女夫婦が帰宅したらすぐに私は片道2時間近くかけて帰宅する。
これを毎日やるのか?
大変だぁ~~~
ショートスティは3か月も前から予約しなくてはいけないので、急な対応ができません。
私がお孫ちゃんの世話をするとなると、留守中は95歳の母が独りで留守番できないので、親戚一同が一丸となって取り組まなくてはならないのです。
お願い、コロナよ、早く終息して!
終息が無理なら、共存できる程度に収まって!
橘諸兄が令和に生きていたら、どんな対策をたてたのでしょうかね。少なくとも大仏は建立しなかったよね。